まだまだ寒さ厳しい今日この頃・・・
12日は、カラコロ工房周辺で、だんだん食フェスタが
開催されます。
とっても楽しみですね~~。
先日、びいどろでは、3月1日からのメニューチェンジのための
スタッフによる
【春メニューコンクール】
が開催されました。
各自が考えていろいろなジャンルの料理が
出そろいました。
どの料理も力作揃いで、今までにないハイレベルな戦いでした。
で・で・で
優勝は、 写真の
《鶏ムネ肉の手作りハムとハマグリのマリネ、春野菜サラダ》
となりました。
作ったのは、サービス担当のミキさんです。
この他にも、良い料理がたくさんあったので
きっと3月1日には、この中から多くの料理が
春のおススメメニューとして登場すると思います。
みなさ~~ん、春の訪れとともに
びいどろに来てくださいね。
2012/02/10

フランス修業物語
第五話
これは一人の若き料理人キリィが初めての外国、いや飛行機に乗るのも初めてという田舎者が繰り広げるおかしく笑える料理修業のお話です。
●今回は、その当時のフランス社会やその背景
日本人コックの立場についてお話したいと思います。
そもそもキリィがフランスで働きたいと思ったのは、
多くの先輩がフランス修業を終えて東京などで自分のお店を持ち
テレビ、雑誌などで取り上げられて「カッコイイ」と単純に憧れ、
フランスの一流レストランで働き帰国後は、あのようになる・・・
しかし現実は、そんなに甘くはなく、どこの星付きレストランでも
日本人コックが一人は働いていました。
つまり簡単には、働くことができないぐらい日本人が
同じ目的と野望を持ち、海を渡ってきたのです。
当時、パリでよく言われていたのは『石を投げれば日本人コックか画家に当たる』
そのくらい働けない人が街にあふれていました。
街角にある小さな定食屋の厨房でシェフとして働いている人もいました。
しかしどうして多くのレストランで日本人を雇っていたのでしょう。
それは・・・・
安いからです。
その当時は、ミッテラン大統領のもと社会主義政策が取られていたため
外国人に対してもあまり厳しくなく、ほとんどの日本人コックも
観光ビザで入国しそのまま職につくといったのが現実で、
つまり働く側にも弱みがあるので、ドケチで有名なフランス人は、
安く使えてそして一生懸命に働くので「こりゃ、いいや」といった感じでしょうか。
実は、キリィも最初の2カ月、どんなに一生懸命働いても
(一応、朝一番に入ってみんなの賄いを作り
そして一番最後まで掃除をしていました)
1円も貰えないので、勇気を振り絞ってオーナーシェフのシャブラン氏に
「あのー、少しでもいいので給料ください」と言ったら・・・・
「えっ、あー忘れてた」と言って4万円くれました。
「少しでも」と言ったので本当に少しでした。
しかもこれ以降、給料日が過ぎてからキリィが言いに行ったらくれるの繰り返し、
一度も自ら手渡すことはありませんでした。
田舎のレストランは、住み込みで職種的にも食べることには困らないので
お金がなくても暮らしていけますが、パリなど大都会は、
自分で住むところも探さないといけないし家賃相場も東京と変わりません。
だからお金がもらえないと厳しいのですが、
ミシュランの星(最高は三つ星)が多いところほど無給です。
また三つ星になると有名シェフの紹介がなければなかなか入れないし、
入れてもタダ働きです。
パリには、古くから日本人コックが住み続けている一か月が2万円のホテル
と言うものもあります。
キリィも友人が住んでいたので一度だけそのホテルに行ったことがありますが
入った瞬間
「オレは、無理無理!」と言ってしまいました。
部屋の鍵は壊れている、汚い共同トイレでしかも建物が傾いていました。
じゃあ、労働許可書を取って働けばいいのですが、これが取れないのです。中には、何かの特別な出来事があり、恩赦で偶然手にした人もいましたが、
手続も大変だし、お金もかかります。
だからほとんどの日本人が観光ビザで不法労働者なのです。
地下鉄の駅などで、コントロールと呼ばれる警察による
外国人のパスポートチェックもありますが、
あまりに多い日本人観光客のおかげで「ハイ、行って」と素通りです。
しかし、こんな立場や環境でも結構みんなが楽しくその日を精いっぱい生き抜いていた時代だったと思います。 つづく
2012/02/01
フランス修業物語
第四話
これは一人の若き料理人キリィが初めての外国、いや飛行機に乗るのも初めてという田舎者が繰り広げるおかしく笑える料理修業のお話です。
●パリから3時間、フランス第2の都市リヨンと港町マルセイユの
中間にあるコート・ドゥ・ローヌ地方のヴァランスという街から
車で30分のポンドリゼールという村にある
【レストラン・ミッシェル・シャブラン】で働き始めて3日が経ちました。
大きなローヌ川が流れるこの村には、美容院と郵便局、
スーパーマーケットにたばこやが一軒というド田舎です。
こんな村でお客が来るの?と思っていたキリィでしたが、
毎晩、満席でメチャクチャ忙しのです。
フランスには、ヴァカンスという習慣があり、みんな夏は南仏で過ごします。
そして今は、8月、まさにその始まりで、南仏へ向かう国道沿いのこの店は、
この季節が一番の稼ぎ時なのです。
「こりゃ、日本人の手も借りたくなるわ」。
肉料理担当は、ジョージというフランス人と二人、
しかしあと一週間で彼は辞めてしまうのです。
そして今のキリィにとって神のような存在で日本語で会話できるアオも
一ヶ月後にいなくなります。
だから必死、もう無我夢中で仕事に取り組みました。
でも忙しいけど、とても楽しい、見るものやること始めてのことばかり、
そして何より調理場の自由で伸び伸びした雰囲気がうれしいのです。
理解できないけどジョークでいつも笑い声が聞こえる、
日本では、いつもシェフからのプレッシャーで息苦しく、
私語も一切禁止です。
でもここは、何も言われないし(言われても理解できませんが)
任せた仕事は、とことん任せてくれるので毎日がとっても充実していました。
だからこの肉料理のポジションをひとりでやっていく不安より
「ひとりでやれる喜び」のほうが大きいのでした。
しかしなぜ日本での経験も少ない彼が、いきなり異国の地で任せられ、
そして実際に作ることができているのか・・・それは、
調理レベルが低かったのです。
それだけ、東京のレストランのレベルが高いということが言えます。
日本人は、とても真面目です、先輩方は、フランスで本場の技術を学び
日本に帰って必死にやってこられた、
だから厳しいし半端なものは出せない、
そんな重い雰囲気が調理場にも充満しています。
●そんな楽しい雰囲気で働いていましたが、やはり悩みはありました。
ひとつが言葉の壁で、コミニュケーションが取れないのは
やはりツライ!!
そしてもうひとつが従業員用の食事です。
レストランですから、日本でもそうですが自分たちで作ります。
その店のシェフの考え方にもよりますが日本では見習いの若い人が
勉強のため作ることが多いのですが、
ここでは肉料理担当が作ります、
つまり毎日昼夜、キリィが作るのです。
なぜか?それは、食事のほとんどが、肉だからです。
魚は、高いしめったに食べません。
フランス人が食べるフランス料理を
毎日、違うものを考えないといけないから大変です。
豚などは、安いので従業員用に一頭まるごと買ってきます。
「ハイ、明日用の肉」とその豚を見たときは、目が点です。
従業員用だけでも一五人分、
そしてオーナーの奥様家族が3人分、
オーナー家族が二人分です。「アレ??おかしい」と思いました?
実は、オーナー夫妻は、離婚していて高校生の娘二人と奥様が
そのレストランの二階に住んでいて
オーナーのシャブラン氏は、二十歳下の奥様と生まれたばかりの
ベビィと違う場所に住んでいたのでした。
この、ありえない状況に
カルチャーショックを受けたことは言うまでもありません。
つづく。
2012/01/30
フランス修業物語
第三話

これは一人の若き料理人キリィが初めての外国、いや飛行機に乗るのも初めてという田舎者が繰り広げるおかしく笑える料理修業のお話です。
●「東京でシャブランシェフから8月から来て働いてもよいと
許可をいただき、今日、来ました」
と言っているのだが両手を肩の上にあげ
「ぜんぜん、わかんない」
みたいなポーズをする美人だが冷たく東洋人を馬鹿にするような
眼をした長身フランス人女性を前にキリィは、
もう泣くこと以外にどうすることもできません。
するとあきらめたのかその女性は奥に消えて行きました。
「オレ、どうすんの?」と思ったそのとき天から神の声が・・・。
「こんにちは!!」
「え・エ・エー」そうです日本語が聞こえてきたのです。
その声の主の名は、【アオ】と呼ばれているキリィと同い年の
日本人料理人でした。
この【レストラン・ミッシェル・シャブラン】にきて二ヶ月目、
あと一カ月ここで働くそうです。
フランスに来て一年なので日常会話は普通に喋れる彼が、
東京からの話やいきさつを通訳してくれました。
同い年の彼が、キリィには、神のようでした。
そしてその長身フランス人女が言うには、そんな話は、聞いていない、
そして今シェフは、アメリカにいるということで
「オレ、どうするのよ?」三人の無言の時間が五分・・・
するとスー・シェフ(二番手シェフ)のヨネルなる人物が、
変な日本人が来ていると聞いてやってきました。
アオが事情を説明すると彼は
「人がいないからいいよ働いても、今から着がえてキッチンに入って」
ということで何と!!わけがわからずその日のランチから
調理場に立つことになったのです。
こんな話ってあります?
いい加減というか、適当というか・・
そしてこのあとに続くキリィのフランス修業は、
フランス人のいい加減さや、ぜったいフランス人と口約束してはいけない
ということを思い知らされることになります。
●住むところは、レストラン裏にある通称「小屋」と呼ばれる8畳ぐらいの
部屋に16歳の見習いフランス人2人と相部屋です。
そして自分の寝るベットは、倉庫から板を探してきて自分で作るという
日本でぬくぬく暮らしてきたキリィには、
世界の厳しさを痛感させられる初日となりました。
しかし、調理場での、会話は何とかなるもんです。
日本の調理場で使っていた、なんちゃってフランス語とアオの助けもあり
その日を乗り切りました。
キリィの担当ポジションは、ヴィアンドと呼ばれる肉料理専門です。
フランス料理では、花形ポジションで、テクニックも知識も必要で
通常は、その調理場でトップの人が担当します。
では、なぜ?わけのわからないジャポネ(フランス語で日本人)が・・・
それは、ただ単にそのポジションの人があと一週間で辞めてしまうからだったのです。
調理場で陣頭指揮にあたっているスー・シェフのヨネルが困っていた
ちょうどその時、キリィが現れたのです。
「ラッキー!!いや待てよ、と いうことはあと一週間でこのポジションを全部覚えるのかよー」
今まで日本では、デザートやサラダなどしか作ったことがないキリィに
またしても大変なピンチがやってきました。 つづく
※それから一週間後にオーナーシェフのミッシェル・シャブランが
アメリカでのヴァカンスを終え帰ってきました。
そしてキリィがあいさつに行くと「おまえ、誰??」
東京での約束など完全に忘れていました。
しかしヨネルが説得してくれて「じゃあ、働けば」とただそれだけでした。
信じられん!!。
2012/01/01
フランス修業物語
第二話
これは一人の若き料理人キリィが初めての外国、いや飛行機に乗るのも初めてという田舎者が繰り広げるおかしく笑える料理修業のお話です。

●1988年7月30日、26歳のキリィは生まれて初めての海外、
いや飛行機も始めて、しかも働く目的で
パリのシャルルドゴール空港に着きました。
周りすべてが外国人というこの状況に加え、まず彼を驚かせたのが
異国の匂い、いろいろな人種と香水は
強烈なカルチャーショックを与えたのです。
「本当にフランスに来たんだな―」
今までに感じたことのない緊張感と不安が一気に押し寄せてきました。
目的地はパリからTGV(フランスの新幹線)で2時間、
フランス第2の都市リヨンからさらに1時間ほど南仏方面に向かう
ヴァランスという街の近くの
ミシュラン2つ星レストランの「ミッシェル・シャブラン」です。
2ヶ月間、語学学校に通っては見ましたが
不安でいっぱいのまま着いたパリの空港。
いよいよ料理修業の始まりです。ちなみに彼の身分は旅行者です。
つまり3カ月間有効の観光ビザしか持っていません。
そう、不法滞在者としてこれから働いていくことになるのです。
●ヴァランスは、比較的大きい街でした。
タクシーに乗り
「レストラン・ミッシェルシャブラン・シルブプレ(お願いします)」と
告げるとそこから走る走る
こんな田舎に2つ星レストランがあるの?
というようなそんな小さな村ポンドリゼールまで30分、
目の前に現れたは、りっぱなオーベルジュ(ホテル付きレストラン)です。
「おー、すごいなー、こんな田舎なのに」
本当にこんな田舎に星付きレストランがあるか不安でしたが
ほっとひと安心、しかし問題はこれからです。
入口の前に立ち大きく深呼吸「よし、もう逃げも隠れもできないぞー」
覚悟を決め扉を開け、目の前にいる女性に「ボンジュール・・」
うっ!・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・」
その先の言葉が出てきません。
あれだけ飛行機や、タクシーの中で練習したのに・・。
両手に大きなバックを持ったまま顔は真っ赤、頭の中は真っ白の彼に
その女性はフランス語で、次は英語でペラペラ話しかけてきます。
仕事の合間に学校に通い、ウオークマンでいつも聴いていたのに
全くわからない・・・
「もうダメだ。日本に帰りたい。」
そう思うと目から涙があふれ、
ただそこに立っているのが精いっぱいでした。
2011/12/03