フランス修行物語5

フランス修業物語
第五話
これは一人の若き料理人キリィが初めての外国、いや飛行機に乗るのも初めてという田舎者が繰り広げるおかしく笑える料理修業のお話です。
●今回は、その当時のフランス社会やその背景
日本人コックの立場についてお話したいと思います。
そもそもキリィがフランスで働きたいと思ったのは、
多くの先輩がフランス修業を終えて東京などで自分のお店を持ち
テレビ、雑誌などで取り上げられて「カッコイイ」と単純に憧れ、
フランスの一流レストランで働き帰国後は、あのようになる・・・
しかし現実は、そんなに甘くはなく、どこの星付きレストランでも
日本人コックが一人は働いていました。
つまり簡単には、働くことができないぐらい日本人が
同じ目的と野望を持ち、海を渡ってきたのです。
当時、パリでよく言われていたのは『石を投げれば日本人コックか画家に当たる』
そのくらい働けない人が街にあふれていました。
街角にある小さな定食屋の厨房でシェフとして働いている人もいました。
しかしどうして多くのレストランで日本人を雇っていたのでしょう。
それは・・・・
安いからです。
その当時は、ミッテラン大統領のもと社会主義政策が取られていたため
外国人に対してもあまり厳しくなく、ほとんどの日本人コックも
観光ビザで入国しそのまま職につくといったのが現実で、
つまり働く側にも弱みがあるので、ドケチで有名なフランス人は、
安く使えてそして一生懸命に働くので「こりゃ、いいや」といった感じでしょうか。
実は、キリィも最初の2カ月、どんなに一生懸命働いても
(一応、朝一番に入ってみんなの賄いを作り
そして一番最後まで掃除をしていました)
1円も貰えないので、勇気を振り絞ってオーナーシェフのシャブラン氏に
「あのー、少しでもいいので給料ください」と言ったら・・・・
「えっ、あー忘れてた」と言って4万円くれました。
「少しでも」と言ったので本当に少しでした。
しかもこれ以降、給料日が過ぎてからキリィが言いに行ったらくれるの繰り返し、
一度も自ら手渡すことはありませんでした。
田舎のレストランは、住み込みで職種的にも食べることには困らないので
お金がなくても暮らしていけますが、パリなど大都会は、
自分で住むところも探さないといけないし家賃相場も東京と変わりません。
だからお金がもらえないと厳しいのですが、
ミシュランの星(最高は三つ星)が多いところほど無給です。
また三つ星になると有名シェフの紹介がなければなかなか入れないし、
入れてもタダ働きです。
パリには、古くから日本人コックが住み続けている一か月が2万円のホテル
と言うものもあります。
キリィも友人が住んでいたので一度だけそのホテルに行ったことがありますが
入った瞬間
「オレは、無理無理!」と言ってしまいました。
部屋の鍵は壊れている、汚い共同トイレでしかも建物が傾いていました。
じゃあ、労働許可書を取って働けばいいのですが、これが取れないのです。中には、何かの特別な出来事があり、恩赦で偶然手にした人もいましたが、
手続も大変だし、お金もかかります。
だからほとんどの日本人が観光ビザで不法労働者なのです。
地下鉄の駅などで、コントロールと呼ばれる警察による
外国人のパスポートチェックもありますが、
あまりに多い日本人観光客のおかげで「ハイ、行って」と素通りです。
しかし、こんな立場や環境でも結構みんなが楽しくその日を精いっぱい生き抜いていた時代だったと思います。 つづく
2012/02/01




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